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初冬の空

 冬が近づくと、星影が一際鮮やかに感じられるようになる。まるで、しんしんと冷えた空気が、星の光を純氷にして煌めかせているがごとくである。

 ……と無い詩心を無理に絞り出したところで、この程度の表現しか出てこないのが、散文人間の悲しい所ではあるのだが、冬の星空が美しいことは紛れもない事実であり、それには以下のような理由があるらしい。

冬は一年中でもっとも星空がきれいな季節です。その理由は、

1.明るい一等星が多いこと

2.さまざまな色の星が見えること

3.オリオン大星雲やすばるなど、肉眼でも見える星雲や星団があること、などです。

 さらに、日没が早いので19時ごろからもう夜空が暗く、また上空の空気の流れが強いので星がキラキラとまたたいていたりと、ほかの季節にくらべて、より星空の印象が強い季節でもあります。

(『AstroArts 星空ガイド 冬の星空を楽しもう』より引用
URL http://www.astroarts.co.jp/special/2005winter/constellation-j.shtml

 確かに、冬の星座はわかりやすい。オリオン座やカシオペア座は、星座の知識がないものでも、一塊として捉えることができる特徴的な並びをしているし、シリウスの白い輝きは、否が応でも目に入る。

 子供の頃、キャンプである山にいった。そこで、生まれて初めて天の川を見た。あの時の印象は、今でも忘れられない。子供心に「息の呑む」とはこういうことかと実感したものだった。そして、流れ星が天を横切るのを目の端に捕らえた時の感激は、言葉にもできなかった。それを見てからもう四半世紀は経とうというのに、いまだに夜の夢に現れては、真に美しきものを見せてくれる。

 今冬は、何度星を見上げることになるだろうか。

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次官の妻の逮捕

 官僚・政治家が収賄罪で逮捕されるシーンなら、今までごまんと見てきているが、その妻も同時に連行されたというのは寡聞にして知らない。毛布を頭からかぶり、連行される姿を見て、これはなかなかの椿事であるなと思った。

 いくら官僚トップの妻とはいえ、個人としては何の役職も権限もない人間が逮捕されたのは、刑法六十五条「身分犯の共犯」の「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」が根拠になるそうだ。過去、これが適用されて逮捕起訴された人物には、戦後最大の経済犯罪と言われるイトマン事件の許永中がいる。つまり、守谷次官の妻は、許永中と等しい影響力を及ぼしていたと判断された、ということなのか。

 どんな組織でも、そのトップにまで上りつめた人間ならば、清濁併せのむことを要求されただろう。その妻も、陰に日向に采配をふるうことを求められるのかもしれない。そして、地位身分が上がれば上がるほど、その持てる権力に群がる有象無象が甘い蜜を携えてくる。その誘惑をはねのけるには、相当な意志の力が必要となるのではないか。もちろん、公金を扱う官僚たるもの、それを持つのは当然である、というのは容易いが、人間的弱さでは人後に落ちない私は、それを強く責める気持ちがわかない。

 むしろ、彼が責めを負うべきは、自ら綱紀粛正を発しながら、隠蔽工作をしてまで甘い蜜を吸い続けたという点にあるのではないだろうか。偽名を使った、という時点で、彼がそれが内規違反になるとの明確な認識を持っていた証拠になる。そこまでしてゴルフをしたかったのか、と、その品性を疑いたくもなろう。何度も気づきの機会を与えられていたにもかかわらず、それを生かすことをしなかった。法律面はともかく、倫理的な罪はその点にあるように思う。いくら省の中で功労を挙げようが、後足で砂をかけるようなことになってはどうしようもない。

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2400万円のきのこ

 日本で高級茸と言えば、まちがいなく松茸であり、国産の最高級品は一本で数万円、宝くじでも当たらなければ口に入らない食材だが、イタリアは宝くじでも一等賞が当たらないと口にできないような茸が収穫されたそうだ。

 それは、重さ1.5KGの白トリュフ。なんと、お値段は2,400万円だという。正直、なにがどうなったら茸にそんな値段がつくのか、意味がわからない。

 秋になると、茸を使った料理が食べたくなる。今の日本では、季節を問わず人工栽培された茸類が楽しめるが、それでも茸の旬は秋であるとの刷り込みは強い。そして、天然物しかない松茸は、それがゆえに茸の、いや食材の王様として君臨している。だが、家一軒建つ値段の松茸など、聞いたことがない。

 もちろん重量の違いや、用途の違いによる小売り価格差はあるだろうが、それにしたってにわかには理解しがたい価格だ。材料としての値段がこの価格なのだから、これが末端価格になると、一体いくらに化けるのか。

 フランスの森には数億円の金塊が落ちていて、イタリアの森には数千万円の茸が落ちている。

 ヨーロッパの森はあなどれない。

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犯罪者の更生

 昨日、大阪の南船場で強盗事件が発生した。郵便局に押し入った男が、取り押さえようとした市民三人にケガを負わせ、さらに地下鉄に逃げ込んで人質騒ぎまで起こした。結局は人質が自力で逃げ出し、犯人は無事逮捕されたものの、ケガをした男性一名は胸を刺され重傷だという。ケガをされた方々の勇気に敬服するとともに、一日も早い回復をお祈りしたい。

 さて、この犯人の男であるが、今年十月に刑務所から出所したばかりだったという。調べに対し、「刑務所を出たばかりで、年を越す金がなかった」と供述しているとのことだが、出所後はホームレス生活を送っていたらしい。

 日本における犯罪者の再犯率は三〇%程度だが、起こった犯罪の六〇%弱は再犯者によるものであり、また再犯者の四〇%が出所後一年未満で再度なんらかの罪を犯している(『犯罪白書』より)。この数字を見る限り、現行制度での犯罪者更生に問題があることは明白だ。

 実際、刑務所が定員以上の受刑者を抱え、パンク寸前であることは前々から指摘されているし、更生プログラムが無きに等しい現状で、受刑者が社会復帰することの難しさも問題になっている。それが、上記のような結果を生み、ひいては社会全体の安全保障を大きく損ねている。

 今回の犯人は、その振る舞いの奇矯さやお粗末な行動結果を見る限り、なんらかのサポートを必要とする種類の人間であった可能性が高い。つまり、彼に適切な自立支援がなされていたならば、防ぎ得た事件であったのかもしれないのだ。時折、「なぜ犯罪者を税金で面倒見なければならないのか」といった感情論を見かけることがあるが、人の業として犯罪の根絶は絶望的である以上、彼らを更生させ、自立させるのが、実は経済効率的に見ても最善の道なのである。そして、前述の数字を見る限り、再犯率の低下はそのまま犯罪率の低下に繋がり、そうなると安全保障と歳出削減も担保される。

 刑を終えた人々への自立支援は、私たちにとっても、決して無関係ではない問題なのだ。

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ミシュランガイド 東京版

 先週、ミシュランガイドの東京版が発刊され大いに話題になった。発売日から五日ほどたって本屋をのぞいたところ、「ミシュランガイド売り切れ」とのこと、初回とはいえずいぶんな盛り上がりである。

 三つ星に選ばれたレストランは、案の定値段も三つ星級のところばかりで、しばらくご縁はなさそうであるが、一つ星ならば行ったことがある店が二件ほどあった。その二件を基準に考えると、どうやら星がついて妥当な店は他にもたくさんありそうだ。

 掲載店全店に星が着いたのは東京版が始めてだそうで、それを以てガイド編集の総責任者のジャン・リュック・ナレさんは「東京は、世界一の美食の町だった。」と話したそうだが、ミシュランガイドブックの大得意である日本人に向けてのサービス(というか販売戦略)であるとの穿った見方もあり、「ミシュランガイド」そのものの実力が判明するのは、もうしばらく経ってのことだろう。

 ところで、もし食いだおれの街 大阪のミシュランガイドが出たとしたら、もっと多くの店が選ばれるだろうか? 私は、それはないと思う。下手すれば、三つ星は一軒も出ないかも知れない。なぜなら、大阪での「旨い店」基準と、ミシュランの基準があまりにもかけ離れているからだ。ここに載るような、高くてお行儀の良い店に、本当の美味しいものを探すことは難しい街なのである。プレリストにすら載らないであろう店、そんなところに大阪の食の神髄が隠れている。

 そして、東京も、案外そうなのかもしれない。

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渡り鳥の季節

 今年も近所の川に渡り鳥がやってきた。

 なんの種類かはわからないが、鴨の一種であることは間違いないだろう。二、三羽、多い時には五羽以上が一個連隊を組み、きれいとは言えない川の面を気持ちよさげに泳いでいる。

 しばらく眺めていると、一羽二羽と離脱しはじめ、思い思いに水中に潜り始めた。透明度がいくらもない水なので、一瞬で姿が見えなくなる。そして、しばらくして思わぬところからポコンと顔を出す。その繰り返しが面白く、寒いのも忘れてついつい橋の上に長居をしてしまう。すると、通りがかる人たちも、つられたように川面を見つめながら通り過ぎる。中には、水鳥観察の仲間入りをする御仁もいる。特に声を掛け合うわけではないが、頭の動きが同じになって、こっちも頭だけ連隊になっている。

 そんなこんなしているうちに、とうとう生まれて初めて、水取りが水底から上がってくるシーンをライブで見てしまった。嘴をまっすぐ上に伸ばし、スーッと勢いよく昇ってくる。口には小魚をくわえていた。この夏、生まれて群れをなしていた魚のうちの一匹だろう。あの小魚たちにも、それはそれで思い入れがあったので、かすかに胸が痛む思いもするが、それよりも都会の真ん中の汚い川にも、季節の営み、そして食物連鎖の輪が存在していることに心打たれ、しばし粛然とする。

 春になり、彼らが遠くの土地に帰る日まで、しばらく楽しみが続きそうだ。

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羊頭を掲げて狗肉を売る

 故事の通りの出来事が、ロシアであったという。

 ロイター電によると、一ヶ月ほど前に、モスクワの中国料理店が羊肉と偽って野良犬の肉を使用した料理を客に出していたことが判明した。夜中に近所の野良犬を捕まえてきては、屠殺していたのだが、その様子を不審に思った人物が当局に通報したことから、この店の悪行が露見したらしい。その肉は衛生的な観点から、とても人が口にできるレベルのものではなかったという。

 なんともお粗末な事件であるが、五十歩百歩の食品偽装問題が噴出している日本人には嗤えまい。

 ただ、この事件、「羊肉」と偽っていたという点がいささか気になる。もし、客にムスリムがいたら、どうなるか。ロシアにはイスラム教徒も少なからず存在するのだ。豚を多用する中華料理店に出入りする者はあまりいないかとも思うが、もしいたとして、知らずと犬の肉を口にしていたとしたら、これは大問題になる。ご存じの通り、イスラムでは犬と豚は不浄の生き物として忌避される。これらが使われる食品は、絶対に食べてはいけない。

 二〇〇〇年にあった、インドネシアでの「味の素騒動」を記憶している人も多いだろう。原料に豚の肉が使われているという風評(実際には、発酵菌の栄養源を作る過程で触媒として豚の酵素が使われていた-[Wikipedia]より)で、不買運動が起こり、ついには現地法人の社長が逮捕されるまでの事態に至った。調味料でさえ、これほどの拒否反応を示されるのだ。まして、実際の肉となれば、どうなることか。場合によっては、これが理由となる報復殺人まで起こりかねないだろう。これは決してオーバーな話ではない。それほどまでに、イスラム教徒にとって、「食のタブー」は厳然たる意味を持つ。

 日本社会においても、グローバル化は確実に進んでいる。様々な文化的・宗教的背景を持つ人間が流入している現状において、食品の偽装というのは、想像外の波紋を広げかねないのだ。しかし、これも正当な表示さえされていれば片付く問題である。

 ほとんどの食品関係の企業はまっとうにやっておられるのだが、一部の不埒な食品関係者には、自らの身を守るためにも、正直な商売をお願いしたいと思う。

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年賀状

 四日前、今年の木枯らし一号が吹いたと、気象庁から発表があった。いよいよ冬の到来である。これから年末まで、何をするでなくとも、なにかと気ぜわしい。新年を迎えるための伝統的な行事も、来月初旬には早々に始まる。

 一般家庭で、一番早くに始まる年始年末の準備というと、年賀状の用意ではないだろうか。何事も簡便にすます傾向が年々強まる中、発行枚数が減少しているとはいえ、それでも四十億を超える年賀はがきが売りに出されるそうだ。

 私は毎年、必ず元日に届くように年賀状を発送している。自分が元日にもらうとうれしいからである。中には、この年賀状のやりとりだけが、消息を伝える唯一の手段になってしまっている人もいるが、だからこそ年頭のいの一番に届けたいのだ。年賀状にその人へのメッセージを添える時、そしていただいた年賀状を見る時に、その人との思い出を振り返る。これが何より楽しい。「年賀状だけの関係なら出す必要がない」と考える人もいるようだが、それはあまりにも「人の縁」の機微を理解していないというものだ。例え一筋の糸でも、他人様との繋がりはあったほうがよい。そもそも、その人と出会う確率はどれほどのものであったか。同じ時代に生まれ、なんらかの繋がりがなければ、知己を得ることなどできないのである。それをわざわざ絶ってしまうなど、もったいないではないか。

 そういうわけで、毎年十一月も末になってくると、年賀状の絵柄や文言をどうするか考え始める。どうせなら見て楽しんでもらえるものにしたい。家族の話題にでもなれば、なおよろしい。かといって、年齢も年齢だから、あんまり可愛すぎるものも駄目だ。お正月らしい華があり、伝統も感じさせつつ、ユーモアあるものにしたい。パソコンを使って年賀状を作るようになってからは、その辺り、かなり自分の好みで自由自在にできる。わざわざ専用ソフトなど買う必要もない。ワードとアクセスがあれば、年賀状作りはラクチンだ。

 来年は私にとって、あらゆる意味で新たなスタートとなる年になる。今年は、その事をお伝えすることがメインの年賀状を作ることになるが、それを見て、みんなはどう思うだろうか。それを考えるだけでも、楽しくなってくるのだ。

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どうでもいいですよ

 贈収賄報道を見るたび、これは政財界のみならずマスコミも片棒を担いだ茶番劇なんだろうと、馬鹿馬鹿しくなる。国会での儀式めいた答弁は言うに及ばず、テレビのキャスターやコメンテーターたちも定型文を決まった表情でのたまうに過ぎない。そして、本質を追うつもりなど欠片もなさげな報道を垂れ流すことで、事実の隠蔽に協力してさえいるような様相である。

 防衛省(当時は防衛庁だが)のトップ官僚と防衛専門商社の経営者に不適切な関係があり、それが故に莫大な税金が無駄遣いされていたとなると由々しき問題である。徹底的に解明し、再発を防止しなければならない。だが、それが本当にできるのであれば、とっくにそうされているはずである。今まで、同様の事件は、枚挙するのが面倒なほど起こっている。その都度、国会が空転し、なんら抜本的な解決を見ないままに、また税金が無駄遣いされる。

 行政も政治も、本気で取り組むつもりがないことぐらい、よくわかっている。そこは、もういい。だが、せめて政治パフォーマンスに関わる税金ぐらいは削減してもらえないだろうか。疑獄があるというなら、その解明は特捜に任せ、国会はさっさと立法府としての役割に戻ってもらいたい。それでなくても捻れ国会のせいで、余計なコストが掛かる状態になっているのだ。捻れ国会を選んだのは国民であるから、これにかかるコストには文句は言わない。だが、茶番に費やすコスト、そして一部個人の飲食娯楽コストを税金でまかなうのだけは、しみじみやめてほしい。半ばなげやりに、そう思う。

 そして、マスコミも、同じ内容をキャプションや編集を変えただけで垂れ流すような手抜きをしないでいただきたい。正直、元長官が宴席にいったかどうかなんぞ、どうでもよい。そんなことより、現国会ではどのような法案が提出され、どの政党がどう賛否を唱え、何が棚晒しになって、何が骨抜きになって、何が通って、何が廃されたのか。そして、国会議員さんたちのショービズのためにどれぐらいの無駄金が使われたのか、そんなところを報道してほしい。

 まあ、期待するだけ無駄だろうが。

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コロの関東煮

 京阪地域で育ったある一定以上の年齢の方は、「コロ」なる食品をご存じだろう。鯨の皮下脂肪を、脂肪分を抜いてからカラッカラに乾燥させたもので、三ミリほどの厚さの黒い皮の下に、目の詰まったスポンジのような薄黄色い脂肪層がついた乾物だ。

 昨日のように木枯らしが吹き、冬将軍の息吹が間近に感じられるようになると、脳裏にこの食べ物が浮かぶようになる。捕鯨が制限されるまで、この「コロ」が入った関東煮(かんとだき、と読む)は、ハリハリ鍋とともに寒い季節の食卓にはかかせないものであった。

 このコロ、実によい出汁が出る。小型鯨のものは、少々臭みはあるが、ナガスやマッコウのような大型なのから取ったものはその心配もない。だいたいにおいて「臭くて食べられない鯨」というのは、小型かイルカのものだ。臭みについていえば、我慢できるのはミンク鯨がギリギリであるように思う。とにかく、このコロが入らなくなった現在の関東煮は、今ひとつ物足りない。大阪でも有名店の関東煮には、現在でもコロが種として現役でがんばっている。昔ながらおいしさを守るためには、やはり欠くことができないのだろう。東京は大抵の食べ物を口にできる土地だが、コロばかりはお目に掛かったことがない。築地の市場でも見かけない。いくら流通が発達しようと、どうやっても広がない食文化というのはあるのだろう。また、そうでなくてはいけない。

 そうそう、このコロが入った関東煮は、なぜか「関西風」とされている薄味のおでんとは似て非なる食べ物であることを、特記しておかなければならないだろう。わざわざ「関東煮」と呼ぶぐらいであるから、かなり濃い味付けで煮たものなのである。このおいしさを知ると、うどん出汁の風呂に具が泳いでるような「関西風おでん」などあほらしくて食べられない。練り物や根菜、蛸、牛すじ、コロなど、ありとあらゆる山海の食材が、地獄の釜でグツグツやられた結果、透明度0の煮汁になったようなのがたまらんのである。家で作るのも悪くないが、やはり屋台や店で売っているものに軍配は上がる。この手の食べ物は大量に作ったほうが断然おいしい。

 そして、私にとって関東煮とは、お正月の味でもあった。

 父母に連れられて氏神さんに初詣に行った帰り道、参道の屋台で食べた関東煮。偏食が激しかった子供時分には、大根とこんにゃくしか口にできなかったのだが、熱いのは全く平気な子供だったので、鍋から上げたての熱々を素早く口に放り込む。一噛みごとに広がる出汁の旨味。冷たくかじかんでいた手先や足先が、瞬く間に温かくなっていくのを感じる。父はワンカップの熱燗を飲み、母は甘酒を飲む。この時ばかりは、団欒と言うに相応しい柔らかな空気が家族を包んだ。吐く息が一段と白さを増す。

 懐かしい、思い出である。間もなく、東京で迎える四度目の正月が来る。

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紅葉

 今年も我が家のベランダに植えているブルーベリーの木が、見事に紅葉した。今年の傾向通り、やや遅い色づきではあったが、深みのあるガーネットのような葉色が美しい。

 紅葉というと決まって思い出すのが、子供の頃に出かけた嵯峨野は大覚寺の風景である。小学生の頃から、嵯峨御流華道を習っていたので、時折その家元である大覚寺に訪れる機会があった。

 大覚寺は、平安時代初期に在位していた嵯峨天皇の離宮だった、由緒正しき門跡寺院である。また、近代的な建物や設備が視界に入らないことから、時代劇のロケ地として重宝されていることでも有名な場所だ。「協力:大覚寺」とのクレジットに見覚えがある人も多いのではないだろうか。

 嵯峨野にあり、また皇室由来の宝物を蔵することから、いわゆる観光寺ではあるのだが、大沢の池からの景観などは、俗世を離れ殊の外素晴らしい。
 年に一度、仲秋には、池に龍頭船と鷁首船を浮かべ、古式床しい観月会が開かれる。水面に映る提灯の灯と(運が良ければ)天空に浮かぶ月の影がさす水面に、琴の音色が流れ、正に平安絵巻の再現といった催しである。
 もちろん、この時期にはまだ紅葉は見られないが、深まりゆく秋を感じ、一抹の寂寞とともに心が騒ぐ。
 全山が燃え上がるのは、通常十一月の半ば頃だろうか。この時期には、大覚寺で嵯峨菊展が開かれる。嵯峨菊は細い花弁が特徴的な、繊細高雅な古典菊で、二メートル近くまで育つ背の高い、洗練された立ち姿は、古御所の趣にいかにも相応しい。
 
 それらの景色に比べ、我が家の秋の色づきの、なんとささやかなることよ。だが、いずれも同じ秋。間もなく訪れる一年の終わりを前に、気持ちを鎮める季節になったのに気づくのである。

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ワニの養殖?

 ロイター電によると、先週末、ベトナム中部で洪水が起こり、その際に養殖場からワニが逃げ出す騒ぎがあったらしい。なんとその数、数百匹。正確な数はわからず、補足もしくは駆除されたのは百匹足らずだという。

 ワニって、養殖してるんだ。

 このニュースを読んで、最初の感想がそれだった。ただ、よく考えてみれば当たり前のことだろう。世にはあれだけ「鰐皮製品」なるものが出回っているのである。天然物ばかりだと、たちまち資源が枯渇するに違いない。

 そこで、「ワニ 養殖」というキーワードでグーグル検索したところ、二つの興味深い記事が出てきた。一つは、「全日本爬虫類皮革産業協同組合」なる業界団体が日本にあること、もう一つは日本でもワニを養殖している人がいることである。

 まず前者。「全日本爬虫類皮革産業協同組合」は、読んで字のごとし、蛇・鰐・蜥蜴などの爬虫類の皮から作られる製品を扱う業者が加入する組合であるが、その設立の目的を次のようにしている。

ワシントン条約の精神と趣旨にそって爬虫類等皮革の円滑な取引を図り、併せて、組合員の相互扶助の精神に基づき、組合員のために必要な共同事業を行い、もって組合員の自主的な経済活動を促進し、かつ、その経済的地位に向上を図るとともに、爬虫類等皮革産業の振興に資することを目的とする。

             (公式WEBサイト http://www.jra-zenpa.or.jp/index.html

 なるほど、ワシントン条約が文頭に謳われているところからも、この業界を取り巻く環境の一端がうかがえる。また、爬虫類皮革への啓蒙も目的にしているようで、サイト内に「爬虫類Q&A]というコーナーが設けられているのだが、これがめっぽう面白い。

 これによると、「現在世界で使用されているワニ革の80%以上が養殖されたもの」であり、野生/養殖を含めた生産量(解体量)はミシシッピー州のアリゲーターが最も多いそうである。来世、鰐に生まれ変わることがあれば、この周辺は避けることをお勧めする。

 また、パプワ・ニューギニアでは地域住民の唯一の現金収入源となっており、持続可能な捕獲量を調整して、慎重に管理を行っているらしい。

 該当サイトには、他にも興味深い爬虫類情報がたくさん掲載されている。我が家には残念ながら爬虫類皮革を使ったような高級品はないが、今後知人が爬虫類系の皮革製品を持っているのを見かけたら、うんちくの一つも語れそうである。

 さて、後者の日本に存在する鰐の養殖場である。その名も「株式会社 小池ワニ総本舗」。(公式WEBサイト http://homepage2.nifty.com/koikewanisohonpo/index.html)静岡県湖西市で営業している。

 気になる事業内容だが、なんとこちらでは食用肉として鰐を養殖しているというのだ。皮ではなく、肉がメインなんである。日本で鰐肉の需要がいかほどあるかはわからないが、鰐の養殖を始めた理由のトップに「日本の食料自給率が極めて悪いこと」を上げておられ、食肉としての鰐の可能性に、本気で取り組んでいらっしゃることは確実である。

 実は、私は鰐の唐揚げを食べたことがある。十八年ほど前、フロリダでのことだ。観光客向けの、いわば思い出作りメニューであるため、味を云々するようなものではなかったが、少々歯ごたえがありすぎたことをのぞけば、臭みもないあっさりとした肉で、常食にしても問題ないようなものだったと記憶している。

 小池ワニ総本舗さんでは、ワニ肉の通信販売もされているようなので値段を確認したところ、1KGが4,500円。つまり100Gで450円なので、安くはない。ブランド豚と同じぐらいか、やや高いぐらいである。この値段なら、鶏肉を食べた方がよいかもしれない。

 ただし、低カロリー高タンパクで不飽和脂肪酸を含むヘルシー食品であり、さらにはワニは血液中に自前の抗生物質を発生させるため、肉もほぼ無菌ということで、安全性も高い食肉なんだそうである。しかも、エサには通常焼却処分される廃鶏を使っていて、環境問題にも貢献している。

 つまり、ワニとは大変LOHASな食肉なのだ。

 鰐皮のバックを守っている層とLOHAS好きな層とは、かなり相関が高いような気もするし、そう考えると次は「ワニ肉食」が来る、かもしれない。

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