言い訳
今年度内に年金記録の名寄せが終了しないのが確実な情勢になったことで、自民党が参議院選挙の時に掲げた約束は嘘だったのかと問われ、福田首相が「公約といえるのかどうか」と発言した。このことで、一度収まりかけていた年金問題がまたクローズアップされ始めた。いずれにせよ、政府与党の本音としては一連の不祥事は社保庁の責任であり、自分たちが責められるのはトバッチリという思いがあるのだろう。もちろんそれを口に出せば、当然行政責任を問われるわけだから言うはずはないが、その気持ちがこういった失言の端々に現れているように思う。しかも、その発言に対しての公的な言い訳が「前政権が言葉足らずだった」であり、同じ与党の仲間に泥を被してまで責任を回避したいものかと、私などはむしろこちらに呆れたような次第だ。
国・企業を問わず、最近の不祥事の謝罪会見では、どうにも責任回避の姿勢が目立って仕方ない。 船場吉兆など、それの良い例だった。圧倒的弱者であるパートに濡れ衣を被せるなど、人として恥ずかしくないのだろうか。そもそも、取締役とは企業の責任者である。その人間が責任を取らないで、誰が取るというのだろう。
昔から蜥蜴のしっぽ切りは繰り返されてきたことで、別に今時の風潮であるとはいわない。だが、昔と違い、格段に情報が漏れやすい社会になっている上は、昭和の時代のような言い訳は通用しないと考えるべきだろう。特に企業においては、そのリスクは一段と高い。なぜなら、人件費を削減するために増やした臨時雇用者が、正社員と同じだけのロイヤルティを企業に持つわけなどないからだ。
食品関係の会社は、旧態依然としたところが多い。役所も然り。そこで不祥事が頻発しているのもむべなるかなである。これをもって他山の石とできるかどうか、そこに責任者としての資質が問われるのではないだろうか。
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