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茶懐石

 茶事の懐石は、日本料理の神髄であるという。

 私も過去、なんどか初釜などで正式な茶事に参加したことがあるが、なにぶん数奇心を解さない人間なので、楽しみと言えばもっぱら食べる方。茶事の懐石は、茶をおいしく服するために腹具合を整えるためのものだが、私にしてみればこっちがメインだった。私の茶の師匠である故大塚松子先生が聞かれたら、あまりにも不肖の弟子よ、と嘆かれることだろう。だが、師匠が初釜でこさえてくださった鯛の昆布締は、今まで食べたうちのもので最も美味しかったので、その事をお伝えすることで、なんとかお許しを請いたい。

 茶の心とは、すなわちおもてなしの心である(らしい)。招待状から始まり、全てが終了してお客様を送り出すまで、その全てが「茶事」である。

一 茶は服のよきように点て
二 炭は湯の沸くように置き 
三 花は野にあるように
四 夏は涼しく冬暖かに
五 刻限は早めに
六 降らずとも傘の用意 
七 相客に心せよ

 これは有名な利休七則であるが、この中に、その「おもてなしの心」の全てが込められているらしい。特別なことは何もない。それなのに、その全てを適えようとすると、細心の注意が要求される。当たり前を当たり前にすることの、いかに難しいことか。

 だから、茶懐石の料理も、あえて技を誇示するようなものは出さない。現代の華麗に飾られた料理を見慣れている目では、むしろ地味にさえ思える。だが、その一品一品には、表面には出てこない手間暇がかけられ、その素材を最も美味く食べられるような工夫がされている。それは、料理方法だけにとどまらず、見た目を構成する大きな要素である器にも、心が砕かれる。そういった全体の工夫こそ、日本料理の肝である、ということのようだ。

 これらの全てを感得するためには、招かれた方にも相応の感性と知識が要求される。だから、真に茶事を楽しむことができる人は、すなわち本物の数奇者と認められるわけである。

 その境地に至るには、いったいどれだけの時間とお金がかかるものやら。少なくともこんな心配をしているようでは、道遙かに遠し、であることだけは確実である。

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