柿の木と蜜柑の木

 先日、北関東の農村地帯に行くことがあった。

 広い田畑に点在する農家。その庭には必ずと言って良いほど柿の木と蜜柑の木が植えられてあって、それぞれ美しい実をたわわに実らせていた。熟した柿の赤みを増した柿色と、蜜柑の黄金色が、色彩の消えつつある景色の中では一際映えて見える。

 軒先に干し柿を下げている家も少なからずあり、そこには懐かしい日本の風景があった。

 とはいえ、私は町育ちの人間。心にある原風景はというと、実は小汚いコンクリートの箱のような団地であり、とてもではないが情緒豊かな田舎の風景など望むべくもない。だから、晩秋の農村風景に懐かしさを感じるのは、本来おかしいはずだ。一体、どこでこのような感性をすり込まれたのか。不思議と言えば不思議である。

 そんな事を考えながらも、その風景に心が安らぐのは間違いないのだから、なにも理屈などいらない。なくなって欲しくない日本の一つである。

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三友

 いよいよ師走である。寒さも一段と深まり、冬本番の気配が漂ってきた。電気代節約のため、未だ厚着のみでしのいでいるが、こうしてキーボードを打つ指先が冷たく、吐く息が白くなるとそろそろ諦める頃合いか、という気にもなってくる。

 しかし、寒くなると寒くなったで楽しみがある。酒である。やはり熱燗を楽しむには、きりりとした冷えが不可欠だ。

 古人は、酒と琴と詩を三友と呼び、風雅に欠かせぬものとした。当方生憎の無粋者にて、琴と詩はとんと駄目だが、酒だけは長年の友として親しみ、尊重している。酒であるならば、特にどれとは言わないが、やはり冬の熱燗は格別だ。つまみなどほとんどいらない。時折口直しする塩気があればよい。電子レンジでの燗はやはり味気ない。湯を沸かした鍋に徳利を漬け、ゆせんで温めたい。この方がなにやら味もまろやかに感じる。

 酒は忘憂の友。長い冬を過ごすに、これにまさる相方はおらぬだろう。

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2400万円のきのこ

 日本で高級茸と言えば、まちがいなく松茸であり、国産の最高級品は一本で数万円、宝くじでも当たらなければ口に入らない食材だが、イタリアは宝くじでも一等賞が当たらないと口にできないような茸が収穫されたそうだ。

 それは、重さ1.5KGの白トリュフ。なんと、お値段は2,400万円だという。正直、なにがどうなったら茸にそんな値段がつくのか、意味がわからない。

 秋になると、茸を使った料理が食べたくなる。今の日本では、季節を問わず人工栽培された茸類が楽しめるが、それでも茸の旬は秋であるとの刷り込みは強い。そして、天然物しかない松茸は、それがゆえに茸の、いや食材の王様として君臨している。だが、家一軒建つ値段の松茸など、聞いたことがない。

 もちろん重量の違いや、用途の違いによる小売り価格差はあるだろうが、それにしたってにわかには理解しがたい価格だ。材料としての値段がこの価格なのだから、これが末端価格になると、一体いくらに化けるのか。

 フランスの森には数億円の金塊が落ちていて、イタリアの森には数千万円の茸が落ちている。

 ヨーロッパの森はあなどれない。

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年賀状

 四日前、今年の木枯らし一号が吹いたと、気象庁から発表があった。いよいよ冬の到来である。これから年末まで、何をするでなくとも、なにかと気ぜわしい。新年を迎えるための伝統的な行事も、来月初旬には早々に始まる。

 一般家庭で、一番早くに始まる年始年末の準備というと、年賀状の用意ではないだろうか。何事も簡便にすます傾向が年々強まる中、発行枚数が減少しているとはいえ、それでも四十億を超える年賀はがきが売りに出されるそうだ。

 私は毎年、必ず元日に届くように年賀状を発送している。自分が元日にもらうとうれしいからである。中には、この年賀状のやりとりだけが、消息を伝える唯一の手段になってしまっている人もいるが、だからこそ年頭のいの一番に届けたいのだ。年賀状にその人へのメッセージを添える時、そしていただいた年賀状を見る時に、その人との思い出を振り返る。これが何より楽しい。「年賀状だけの関係なら出す必要がない」と考える人もいるようだが、それはあまりにも「人の縁」の機微を理解していないというものだ。例え一筋の糸でも、他人様との繋がりはあったほうがよい。そもそも、その人と出会う確率はどれほどのものであったか。同じ時代に生まれ、なんらかの繋がりがなければ、知己を得ることなどできないのである。それをわざわざ絶ってしまうなど、もったいないではないか。

 そういうわけで、毎年十一月も末になってくると、年賀状の絵柄や文言をどうするか考え始める。どうせなら見て楽しんでもらえるものにしたい。家族の話題にでもなれば、なおよろしい。かといって、年齢も年齢だから、あんまり可愛すぎるものも駄目だ。お正月らしい華があり、伝統も感じさせつつ、ユーモアあるものにしたい。パソコンを使って年賀状を作るようになってからは、その辺り、かなり自分の好みで自由自在にできる。わざわざ専用ソフトなど買う必要もない。ワードとアクセスがあれば、年賀状作りはラクチンだ。

 来年は私にとって、あらゆる意味で新たなスタートとなる年になる。今年は、その事をお伝えすることがメインの年賀状を作ることになるが、それを見て、みんなはどう思うだろうか。それを考えるだけでも、楽しくなってくるのだ。

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