愛国心ではなく
有名な小咄がある。かなり流通したと見え、伝わる話に大同小異はあるが、概ねこんな内容である。
大型客船が、事故のために沈没することになった。女性と子供を優先的に救命ボートに乗せるため、クルーは男性乗客は救命胴衣を来て船から飛び降りるように説得しに回った。
アメリカ人には「これを着て飛び降りれば、あなたはヒーローになれますよ」
イタリア人には「これを着て飛び降りれば、あなたは女性にもてますよ」
ロシア人には「これを着て飛び降りれば、あなたは勲章がもらえますよ」
中国人には「これを着て飛び降りれば、あなたは100万元もらえますよ」
ドイツ人には「これは規則ですよ」
イギリス人には「あなたは紳士ですよね」
日本人には「みなさんそうなさっています」
クルーの説得は100%成功したという。
実にうまく各国の国民性のステレオタイプをとらまえている。だからこそ、人口に膾炙しているのだろう。時として、何万語を費やした記事より、この手の小咄の方がより人々に真実を伝えることがある。
さておき、なぜこのような小咄を冒頭に持ってきたかと言うと、英国人英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさんが殺害された事件で、フライ英国大使が代読した父ホーカー氏のコメントを聞いたとき、不謹慎ながらこれを思い出したからだ。
ホーカー氏の声明は、「日本は信頼と敬意の上に築かれた尊敬すべき社会。犯人は日本を侮辱した。隠れることは許されない」という内容のものだったという。罪のない娘を殺され、悲しみと怒りのどん底にいるであろうホーカー氏の、このような言葉に、まずは心からの敬意と無念の死を遂げたご令嬢への弔意を示したい。そして、一日も早い犯人逮捕を心から願うものである。
国は違えども、人として尊敬されるべき態度には自然と頭が下がる。
日本でも、少なくとも戦前までは「礼」と「節度」は美徳であったはずだ。ところが、いつの頃からか、それらが「人間らしくない」との批判(?)の元、感情を爆発させることが美徳であるように意識が書きかえられてきた。世界的には「みなさんそうなさっています」と思い込まされたのだ。
だが、実際にはそうではない。どこの国でも、しっかりとした教育を受け、自己訓練ができている人間は、どのような場面でも冷静さを失わない。ホーカー氏も、イギリスのテレビ番組では泣き崩れていたが、声明文で日本を呪うような愚は犯さなかった。これぞ、紳士の国の真面目であろう。どこかの国とは大違いである。
戦後、それまでの全てを否定することから始まった日本の再生は、勢い余って否定しなくてもよいものまで否定してしまった。戦後六十年が過ぎた今、私たちは日本人としてもっていた心性の再評価を行うべき時期に来ているし、実際にそのような動きが出始めている。しかし、その際に意識されるべきは「愛国心」などではなく、どの国にも尊敬されるような「礼節」や「節制」だろう。
私たちは、開国後の日本に来た西洋人たちが感動した、日本人の素晴らしい特性を、もう一度思い出さなければならない。
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